俳優やアーティストとして活躍する北村匠海さん。
幼い頃からその才能を開花させ、現在では多方面で大活躍していますね。
本記事では、小学校時代の子役デビューから、バンド活動や俳優としての飛躍まで、
彼の学生時代の芸能活動をわかりやすく解説します。
特に、バンド“DISH//”結成秘話や子役デビュー時代のエピソードなど、成功に至るまでの道のりを深掘りします。
ぜひ最後までご覧ください。
目次
北村匠海のプロフィール
北村匠海(きたむら たくみ)
生年月日:1997年11月3日
出身地:東京都
身長:177cm
血液型:B型
所属事務所:スターダストプロモーション制作3部
学歴
- 練馬区立豊玉小学校
- 練馬区立中村中学校
- 目黒日本大学高等学校(旧・日出高校)卒業
- 大学には進学していません。
小学校時代の経歴:子役デビューと最初の挑戦
幼い北村匠海さんにとって、小学校時代は芸能界への第一歩を踏み出した大きな転機でした。
子役デビューから映画出演まで、彼の才能が早くから花開いたエピソードを紹介します。
北村匠海さんは、練馬区立豊玉小学校に通っていました。
小学3年生の時に、親と弟と歩きながら買い物に向かうところでスターダストプロモーションにスカウトされ、芸能界デビューを果たします。
デビュー後、約100本ものオーディションを受け、9歳(小学4年生)でHONDAのCMに初出演。
子役時代は苦労も多かったそうで、北村は「CMに至るまでに100何本くらいオーディション受けていて、とにかく落ちるし、オーディションにはとにかくどんな状況でも行った」と努力の末のCMデビューだったことを明かした。
オーディションでは最初に自己紹介として名前と所属事務所を伝えることになっていました。
しかし北村さんは勝手がわからず、家の住所を言ってしまったそうです。
初めてのオーディションで緊張しながらも、素直に自己紹介をしてしまった当時の北村さんの姿が想像できますね。
初めてのオーディションで勝手がわからないから、家の住所を言ったんです(笑)。誰も教えてくれなかったから。『練馬区○丁目○○に住んでます』って部屋番号まで言って(笑)。そこに住んでいる『8歳の北村です』って。とにかく怖かったんですよ」
引用元:rockinon
学生生活では、サッカー少年として活動しました。
右サイドバックのポジションを務めていましたが、
本人が言うには、「ゴールを1回も決めたことがない」
「リフティング大会も最下位」とサッカーの才能には恵まれなかったようです。
プレーしていたポジションを問われると「右サイドバックです。ゴール1回も決めたことがない(笑)。
引用元:ORICON NewS
また、ゲーム好きが高じて両親から勉強するように叱られることも多かったといいます。
小学5年生になると映画デビューを果たし、池松壮亮の幼少期役を演じたことをきっかけに、
岡田将生、小出恵介、小栗旬、松本潤など、数々の人気俳優の幼少期を演じる「幼少期キラー」として活躍しました。
小学5年生の時に出演し、トリプル主演を務めた池松壮亮さんの幼少期の役を演じました。具体的には富士谷要一(幼少期)役を演じています。
小栗旬さんは、子役時代の匠海さんについて「匠海はズバ抜けてました」と高く評価しています。
北村匠海さんは幼少期からさまざまな役を経験し、それが現在の演技力につながっているのですね!
小学校時代の恩師との出会い
北村匠海さんが小学校時代に出会った恩師の存在も、彼の成長に大きな影響を与えました。
小学生の頃、北村さんは悪さをして先生に怒られることがよくありました。
しかし、担任の先生だけは他の先生とは違い、ただ叱るのではなく、優しく丁寧にわかりやすく伝えてくれたそうです。
当時の友達とは今でも交流があり、集まるとその先生の話題でが出ることもあると言います。
さらに、担任だった先生とは今でも直接電話で話をすることがあるそうです。
北村さんにとって、その先生との出会いは人生における大切な宝物だと語っています。
小学生のときに悪いことをして怒られるわけですけど、担任のその先生だけ怒らなかった。ただ怒るだけではなくて、小学生の僕らにもわかるぐらい優しくわかりやすく伝えてくれるので、小学生ながらこんな大人になりたいと思っていました。
引用元:https://www.tbs.co.jp/aogeba-toutoshi/interview/vol7.html
小学校時代に出会った恩師の影響が、北村匠海さんの人間性や考え方に大きく影響していることが感じられます。
誰かの言葉や行動が、幼い心に大きな宝物として残ることがあるのですね。
中学校時代の経歴:学業と新たな挑戦
北村匠海さんは、練馬区立中村中学校に通っていました。
北村匠海さんの中学時代は、学業、部活動、芸能活動のすべてに挑戦しています。
孤独や困難を乗り越える中で現在の活躍の基盤を築いた重要な時期でした。
この時期の、匠海さんの挑戦や努力、葛藤を紹介して行きます。
中学校時代の芸能活動
北村匠海さんは、中学1年生の夏に所属事務所内の俳優・タレント集団「EBiDAN」に所属します。
中学2年生でDISH//を結成してボーカルとギターを担当することになりました。
DISH//は、2011年12月25日にスターダストプロモーションの「EBiDAN」内で結成されたダンスロックバンドです。
プロデューサー藤下リョウジさんの「アイドルとロックバンドを融合させたグループを作りたい」という意図のもと、北村匠海さん、橘柊生さん、矢部昌暉さん、小林龍二さんがメンバーとして選ばれました。
当初は音楽経験がほとんどない状態でスタートし、エアバンドとして活動しました。
その後、メンバーたちが楽器演奏を猛練習して、本格的なロックバンドとして進化しました。
グループ名「DISH//」には「メインディッシュになりたい」という思いが込められているそうです。
語尾の「//」はファンとの絆を象徴しています。
DISH//(ディッシュ)というグループ名の由来は、英語の「DISH(お皿)」。
「みんなのメインディッシュになりたい」「食事のようにパフォーマンスを楽しんでもらいたい」という願いを込めて付けられたグループ名です。語尾の「//」は、メンバーとファンの絆が表現されています。
引用元:https://utaten.com/specialArticle/index/6009
中学2年生の時にドラマ『鈴木先生』に出演し、松岡茉優さん、土屋太鳳さんらと共演します!
この作品は重要な転機となりました。
当時、北村さんは芸能界を辞めようと考えていたそうです。
しかし、共演者たちとまた一緒に芝居をしたいという思いから続けることを決意しました。
中学校時代の学校生活
北村さんは学校ではバスケットボール部に所属していましたが、芸能活動の影響でファンが集まることを懸念され、監督から試合への出場を制限されていました。
それでも3年間練習だけには参加し続けます。
中学時代の北村さんは、孤独を感じることも少なくなかったそうです。
芸能活動をしていることで好奇の目にさらされ、ネット掲示板などでの辛い経験もあったようです。
友達はいたけど、どこか孤立感を感じてたんだって。
もちろん友達もいたし楽しい思い出もあるんですけど、やっぱりどこかで孤独感を感じていましたね
引用元:rockinon
- 体育祭では運動神経の良さを活かしてリレーに出場していました。
- バレンタインデーにチョコをもらえない「ノンチョコ部」に所属していたと自身で語っています。
- 学校の裏掲示板に名前が上がることが多く「見えない敵がいっぱいいた感じ」と振り返っています。
- 卒業式では制服のボタンが全て取られるほど人気があったようです。
「暗黒期」を支えたRADWIMPS
北村匠海さんは2010年、中学生の頃にRADWIMPSの「携帯電話」のミュージックビデオに主演しました。
北村さんは、中学時代を「暗黒期」と語っています。
その理由には、孤独感や葛藤、多忙な芸能活動との両立によるプレッシャーがあったと考えられます。
周囲から「話しかけにくい」と思われ孤立し
バスケットボール部では試合に出られず悔しい思いを経験しました。
学校では注目と批判の狭間で苦しむ日々を送っています。
また、芸能活動で同級生とは異なる生活を余儀なくされる中、迷いや孤独を抱えていたことも伺えます。
そんな彼にとって、RADWIMPSの「有心論」は大きな支えとなりました。
特に、「誰も端っこで泣かないように/君は地球を丸くしたんだろう?」という歌詞に深く心を打たれ、涙を流したと語っています。
そして北村さんは、RADWIMPSの曲でいちばん心に刺さったのが“有心論”で、その曲で、音楽を聴いて泣くという経験を初めてしたと前に話してくれました。《誰も端っこで泣かないようにと/君は地球を丸くしたんだろう?》っていう歌詞に心を鷲掴みにされたと。
引用元:rockinon
この曲は、孤独を抱えていた彼にとって、癒しであり、前に進む力を与える存在だったのかもしれませんね!
高校時代の経歴:友情と努力の3年間
高校時代の北村匠海さんは、勉強と芸能活動を両立しています。
仲間たちとの友情を深め、数々の挑戦を重ねていきました。
この3年間に焦点を当てて紹介します。
北村匠海さんは、日出高校(現・目黒日本大学高校)芸能コースに進学しています。
同級生には、小柴風花、松岡広大、矢部昌暉、玉城ティナ、飯豊まりえなど、豪華なメンバーが揃っていました。
高校時代は「怖い」と言われることも多かったそうです。
しかし、放課後に黒板に絵を描くなど、かわいらしさをアピールする一面も見せていました。
北村「でも、ちょっとかわいらしさをアピールしようと思って、放課後、黒板に絵を描いたりして(笑)。
特に、DISH//のメンバーでもある矢部昌暉さんとは親密な関係を築いています。
高校3年間、二人で昼食を共にし、花火やたけのこ狩りなど家族ぐるみで交流する仲だったそうです。
高校時代のあだ名は「ジジイ」で、勉強面では特に数学で成果を上げ、最上位クラスまで上り詰めました。
高校3年間、DISH//のメンバーの矢部昌暉と、ずーっと2人で昼ごはんを食べてた。
引用元:https://moviewalker.jp/news/article/1005569/p2
- 映画「鈴木先生」- 出水正役
- 映画「陽だまりの彼女」- 奥田浩介(中学生時代)役
- 映画「信長協奏曲」(2016年1月/18歳)- 森長可役
- 映画「セーラー服と機関銃 -卒業-」(2016年3月/18歳)- 周平役
- 映画「ディストラクション・ベイビーズ」(2016年5月/18歳)- 健二役
- ドラマ「仰げば尊し」(2016年/18歳)
- DISH//として2013年6月にファーストシングル「I Can Hear」でメジャーデビュー
- 12月に2ndシングル「FLAME」をリリース
仲間と共に学び、切磋琢磨した高校時代の経験がDISH//としての活動にも良い影響を与えてたのかもしれませんね。
北村匠海の転機:俳優としての飛躍と現在
北村匠海さんが大きな転機を迎えたのは高校卒業後。
映画出演や受賞を通じて俳優としての地位を確立していくその道のりを振り返ります。
高校卒業後は大学進学を悩みましたが、芸能活動に専念する道を選択します。
この作品が俳優としてのブレイクのきっかけとなりました。
この作品をきっかけに多くの人に名前を知られるようになり、北村さんにとって大きな転機となったことは間違いありません。
俳優の枠を超えた現在
俳優の枠を超え、北村匠海さんは短編映画『世界征服やめた』で監督に初挑戦しました。
この映画は、生きる意味や希望を描き、「生きるとは何か」を問いかける内容です。
学生時代に絶望を抱えていた北村さんは、ポエトリーラッパー・不可思議/wonderboyの楽曲に救われた経験から感謝の想いで制作を決意します。
約4年の制作期間を経て完成したこの作品には、監督自身の人生経験が詰まっており、観る人々に強いメッセージを届けます。
公開は2025年2月7日予定です。
学生時代の僕は、正直絶望していた。自分にとって未来が光あるものに思えなかった。そんな中出会ったのが、ポエトリーリーディングという音楽ジャンル。中でも不可思議/wonderboy さんでした。そして「世界征服やめた」は、僕の人生を変えた曲です。
自身の人生経験や感謝の想いを深く反映させた点では、ファンにとっては興味深い作品ですね!
公開が待ち遠しく、多くの人にとって心に残る映画になることを期待しています。
成功の背景:北村匠海の魅力とは?
北村匠海さんがこれまで歩んできた道には、仲間との絆や困難を乗り越える力が深く根付いています。
現在の活躍とその背景にある秘訣を探ります。
DISH//は2011年12月25日に結成され、当初は楽器演奏ができない状態からスタートしました。
しかし、メンバー全員が必死に練習を重ね、本格的なダンスロックバンドへと成長。
2022年にはEBiDANを卒業し、より幅広い活動を展開しています。
人を思う気持ちの強さと、仲間との絆を大切にする姿勢が、北村さんの成功の源となっています。
人生について「マイナス×マイナス=プラス論」を提唱し、苦しみや困難をプラスに変える力を持っているという北村の言葉は、彼の生き方を象徴しています。
人生の苦しみや困難について、「マイナス同士を掛け合わせることでプラスに変わる」と述べています。彼は、苦しい状況を乗り越えたときに初めて幸せを実感できると語り、楽しいことだけが続く人生よりも、困難や挫折を経験することで得られる喜びが大きいという考えを表現しています。
「マイナスにマイナスをかけたらプラスになりますから。苦しんでプラスに変わった時に初めて幸せだって、愛ってこれだって。
YouTubeの中で北村匠海さんは映画のシーンを語っていました。
何気ないシーンなのですが
その姿が繊細で深い考えを持つ人柄として映りました。
苦しみや困難の価値を伝える姿勢には、人間的な深みと共感力が感じられました。
挑戦を恐れず、逆境を力に変える姿勢は、北村匠海さんの最大の魅力と言えるでしょう。
まとめ
北村匠海さんの成功の軌跡は、幼少期から積み重ねた努力や仲間との絆によって築かれています。
子役からバンド結成、俳優としての活躍まで、多岐にわたる才能を発揮してきた彼の姿勢には、多くの人が刺激を受けるでしょう。
これからもさらに多くの分野での活躍が期待されます。