女優・アーティストとして幅広く活動する、のん(能年 玲奈)さん。
かつてNHK連続テレビ小説『あまちゃん』で国民的人気を獲得しながら、突然テレビから姿を消したことで、多くのファンに衝撃を与えました。
いったい、のん(能年 玲奈)さんの過去に何があったのか?
そして、なぜ「干された」と言われるようになったのか?
この記事では、
- のん(能年 玲奈)さんのプロフィールと芸能界入りのきっかけ
- のん(能年 玲奈)が干された理由の事務所とのトラブルについて
- 11年ぶり地上波復帰で再注目!
を詳しく解説していきます。
長い沈黙を経て、再び地上波に帰ってきたのんさんの軌跡。
その真実を、ぜひ最後までご覧ください。
それでは、本題に入っていきましょう!
目次
のん(能年 玲奈)はどんな人?
- 本名:能年 玲奈(のうねん れな)
- 生年月日:1993年7月13日
- 出身地:兵庫県神崎郡神河町
- 血液型:A型
- 身長
- 165cm
- 所属事務所
- 株式会社non(代表取締役)
- エージェント契約:スピーディ
- 音楽レーベル「KAIWA(RE)CORD」代表
- 主な肩書き・活動ジャンル
- 俳優、アーティスト、ファッションモデル、歌手、芸術家、YouTuber
のん(能年 玲奈)の芸能界入りのきっかけは?
2006年、中学時代にファッション誌『ニコラ』の
「第10回ニコラモデルオーディション」でグランプリを獲得し、専属モデルとして芸能界入りしました。
その後、モデル活動を経て2010年に映画『告白』で女優デビュしています。
のん(能年 玲奈)が干された理由は事務所トラブル!
NHK連続テレビ小説『あまちゃん』で大ブレイクしたのんさん。
しかし、その後メディア露出が激減し、独立・改名という大きな転機を迎えることになりました。
ここでは、のん(能年 玲奈)さんに一体何があったのか?
干された理由の、前事務所とのトラブルについて時系列に沿って詳しくまとめて解説していきます。
2006年:のん(能年 玲奈)のデビューと下積み時代

のん(能年 玲奈)さんは、2006年にレプロエンタテインメントからデビューしました。
14歳で兵庫県から上京し、芸能活動をスタートします。
【孤独な下積み生活と演技指導】
デビュー当初は目立った役に恵まれず、芸能界で孤独な下積み生活を送っていました。
さらに極度の人見知りだったため、地元を離れての生活に精神的な不安も抱えていたといいます。
【のんと滝沢充子さんとの出会い】
そんな中、振付師で演出家の滝沢充子さんと出会い、厳しい演技指導を受けることになります。

滝沢充子さんは、新垣結衣さんや長谷川京子さんらを指導した実績のある方です。
時には、指導の中でのん(能年 玲奈)さんに、「あなたは女優をやらないと生ゴミね」という厳しい言葉を投げかけたこともありました。

生ゴミ・・・どういうこと?
のんさんは、滝沢さんのを「生ゴミ先生」と呼び、強い信頼を寄せていたそうです。

年齢差も大きく、親子のような関係だったそうですよ
このスパルタ指導を受けたのん(能年 玲奈)さんは、演技力を大きく向上させ、徐々にオーディションでも結果を出すようになりました。

のんさんの、今の活躍は生ゴミ先生のおかげということですね!
この下積み時代の経験こそが後の、のんさんを飛躍させていくことになりました。
2013年: NHK朝ドラ「あまちゃん」での大ブレイク

のん(能年 玲奈)さんは、2013年、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』のヒロイン・天野アキ役に抜擢され、国民的女優となりました。
実はこのオーディションでは、事務所側は別の若手女優の川島海荷さんを本命と考えていという話もあります。
のん(能年 玲奈)さんは「当て馬に過ぎない扱い」だったと言われています。
『あまちゃん』オーディションも事務所としては川島が本命で、能年は“当て馬”でしかなかったのだ。
引用元:lite-ra.com
しかし、オーディションでは、のん(能年 玲奈)さんが、圧倒的な存在感を示しヒロインの座を勝ち取りました。
ドラマは大ヒットし、「じぇじぇじぇ!」の流行語とともに、のんさんは絶大な国民的人気を獲得します。
【撮影当時の待遇と生活環境】
『あまちゃん』撮影時、のん(能年 玲奈)さんの月給はわずか5万円と報じられ、過酷なスケジュールにもかかわらず生活面での十分な支援がなかったといわれています。
実際、撮影が佳境を迎えていた2013年4月頃、のんさんにはこんなエピソードがありました。
深夜、のんさんは滝沢さんに「寮の乾燥機が壊れてしまって、明日の下着が乾かない」と相談。

すると滝沢さんは「コンビニで買えばいいじゃない」と助言しましたが、のんさんは「財布に200円しかない」と泣きついたそうです。
滝沢さんはのんさん(能年 玲奈)を不憫に思い、以後身の回りの世話まで買って出たとされています。
「寮の乾燥機が壊れて、もう明日のパンツがない」「財布には二百円しかない」と泣きついた。
引用元:lite-ra.com
このように、当時のん(能年 玲奈)さんは人気絶頂でありながら経済的余裕がなかったそうです。
住まいも事務所の寮で若いタレント4~5人で住んでいたそうです。
『あまちゃん』放送中の待遇(2013年)
のん(能年玲奈)さんは、レプロが用意したマンションの寮で共同生活し、生活費やレッスン代は事務所負担、小遣いとして月5万円が支給されていた。
『あまちゃん』放送中には月給が20万円に増額され、200万円以上のボーナスも支給。
終了後には一人暮らし用の高級マンションも用意され、翌年には1000万円以上の報酬を得た。
レプロによる投資額は寮費や人件費などを含め、数千万円規模に上っていた。
生活全ての面倒を見て、レッスン代、交通費などの関連費用も全部こちらで持った上で、さらに小遣いが5万円ということです。能年にはその後、寮から出て一人暮らしができる高級マンションを用意しています。
2014年:のん(能年玲奈)と事務所との関係悪化の始まり

NHK連続テレビ小説『あまちゃん』で国民的人気を得たのんさん。
2014年6月、前所属事務所との間で契約延長が行われました。
契約に基づくオプション条項により、のん(能年玲奈)さんの専属契約は2年間延長され、契約期間は2016年6月30日までとなりました。
しかし、この契約延長はのん(能年玲奈)さんが望むものではありませんでした。
その背景には、事務所側の仕事に対する対応への不満があったとされています。
『あまちゃん』終了後、のん(能年 玲奈)さんはさらなる女優としての活躍が期待されていましたが、実際には与えられる仕事は限られていました。
2014年に出演した作品は、映画『ホットロード』と『海月姫』、そして『世にも奇妙な物語』のみでした。
同時期に『あまちゃん』でブレイクした有村架純さんが連ドラや映画に引っ張りだこだった状況と比べても、のんさんの露出は明らかに少なかったといえます。
- 映画
- 女子ーズ(2014年6月公開)
- 思い出のマーニー(2014年7月公開、声の出演)
- くるみ割り人形(2014年11月公開、声の出演)
- テレビドラマ
- 失恋ショコラティエ(2014年1月期、フジテレビ)
- MOZU Season1〜百舌の叫ぶ夜〜(2014年4月期、TBS/WOWOW)
- 弱くても勝てます〜青志先生とへっぽこ高校球児の野望〜(2014年4月期、日本テレビ)
- 隣のレジの梅木さん(2014年12月21日、フジテレビ)
合計:11作品
このままでは世間から忘れられるリスクすらある状況でした。
のんさんサイドから見れば、実質的に「飼い殺し」とも取れるような扱いを受けていたとされています。
「もっと仕事がしたい」という焦りや不満は、次第に募っていきました。
【事務所との関係悪化】

映画『ホットロード』の撮影を終えた2014年1月、のん(能年玲奈)さんは担当マネージャーに「事務所を辞めたい」と申し出ました。
当時、のんさんとレプロとの3年契約は、同年6月に終了する予定でした。
その後、のん(能年玲奈)さんと本間氏の面談が行われたが、のんさんは「辞めたい」の一点張りで話し合いにならず。
レプロ側は、映画『海月姫』撮影終了後に改めて交渉の場を設ける方針を取ったが、再交渉も決裂しまた。
契約書に基づき、レプロは契約終了後の延長交渉を行い、最終的に2年間の延長契約で合意。
この延長は、能年さんを説得するための時間稼ぎでもあったようです。
契約書には、「契約期間終了後、一度は事務所側から契約延長を請求できる」という条項が入っていた。
引用元:gendai.media
この頃から、のん(能年 玲奈)さんと事務所の関係は本格的に悪化していきます。
のん(能年 玲奈干)と事務所との確執

のん(能年 玲奈)さんは、2015年公開映画『進撃の巨人』の出演オファーを事務所に無断で断られたことで、不信感を募らせていました。
当時のチーフマネージャーからは
- 「玲奈の態度が悪いから、オファーが来ていない」
- 「仕事は入れられないよね」
と告げられ、干されるような扱いを受けていたとされています。
こうした経緯により、のんさんは事務所に対してさらに強い不信感をより抱くようになりました。
この意思を聞かされた社長は激昂し、所属事務所との確執は決定的となりました。
のん(能年 玲奈)の個人事務所設立と契約違反問題
のん(能年 玲奈)さんは、仕事が減った不安から独立を模索し始めました。
2015年1月、のんさんは滝沢充子さんと共に個人事務所「株式会社三毛&カリントウ」を極秘設立します。
のんさん側は絵本出版のためと説明されましたが、事務所側は契約違反と判断しました。
これに関してレプロの担当者は、「契約違反だけでなく、信義則に反している」と主張する。
引用元:gendai.media

なぜ、辞めてからにしなかったのかなぁ?
おそらく、本人たちは契約違反という認識がなかったでしょう

芸能界では、所属事務所を退職してから個人事務所を設立するのが一般的なルールとされています。
のんさんが在籍中に無断で個人事務所を立ち上げたことは、芸能界のルール違反と受け止められました。
この行動により、所属事務所だけでなく業界全体からも反発や警戒を受け、結果としてメディア露出の激減や“干される”事態へとつながってしまいます。
この出来事で、事務所側は不信感と警戒を強めました。
2015年:のん(能年 玲奈)の独立騒動の勃発と「洗脳報道」

のん(能年 玲奈)さんが個人事務所を設立したことにより、事態は一気に悪化することになりました。
2015年4月、のんさんと前所属事務所の対立がスポーツ紙にスクープされ、「能年玲奈“洗脳”騒動」として大きく報じられます。
「’15年4月に東京スポーツが一面で《能年玲奈“洗脳”騒動》と大きく報道し、能年が“生ゴミ先生”と呼ぶ演出家のT氏に洗脳されて、所属事務所に無断で個人事務所を設立したというものでした」(スポーツ紙記者)
引用元:jprime.jp/articles
まるでのん(能年 玲奈干)さんが滝沢充子さんに完全に支配されているかのような報道が相次ぎ、騒動は拡大していきました。
「洗脳」報道の拡散経路

2015年4月のスクープ報道以降、週刊誌やワイドショー、ネットメディアなど、あらゆる報道機関がのんさんに関する「洗脳」説を次々と取り上げっていまいた。
その過熱ぶりは、まるで報道リンチのような様相を呈し、のんさんのイメージは急速に傷つけられていきました。

報道リンチ・・・のんさん当時22歳・・
前事務所側のリークと見られる情報により、「のんさん=滝沢充子さんに洗脳されおかしくなっている」というイメージが一気に広がってしまいます。
のんさんの給料については、増額やボーナス支給が行われていたとする、関係者と思われる情報が報じられていました。
「確かに最初は月給5万円でしたが、『あまちゃん』の放送が始まった13年夏には20万円に増額されたし、夏と冬合わせて200万円以上のボーナスも支給されている」
「昨年は夏冬合わせて800万円ほどのボーナスが支給されています」さらに、極端な人見知りの能年に口をきいてもらえず、精神的に追い込まれ通院したマネージャーもいるなどの証言も掲載されていた。
のん(能年 玲奈)さん側の、マネージャーとのやり取りの主張にも以下のように答えています。
- のんさんがマネージャーに対して罵詈雑言を浴びせるなど、態度が激変していた。
- 事務所側が提示した新規の仕事を、のんさん自身が拒否していた。
- 現場マネージャーが挨拶しても目を合わせなかった
- 数分間も電話口で怒鳴られた
のん(能年 玲奈)さんが月9ドラマ『鍵のかかった部屋』SP版出演を見送ったことを根拠に、滝沢氏が「主役以外は断れ」と吹き込んでいるという憶測も語られていたとされています。
実際は滝沢氏が前事務所の依頼で身辺世話をしていただけで、仕事選びには関与していなかったとされています。
しかし、報道は「滝沢=洗脳者」「のんさん=問題児」という図式を作り上げました。
のん(能年 玲奈)と母親の反論

洗脳報道が過熱する中、のんさんは、メディアの取材を受けました。
「仕事を断っているのですか?」という質問に対し、「ファンの皆さんに見てほしいから私は仕事がしたいです」と強く否定。
独立騒動について記者に問いかけられても能年は無言を貫いているが、唯一「能年さんは仕事を断っているのですか?」という質問には、「私は仕事をしてファンの皆さんに見てほしいです。
引用元:lite-ra.com
つまり仕事を干されて困っているのであって、自ら拒否しているわけではないと明確に否定しました。
さらに、のんさんの母親も取材に応じ、「洗脳も引退も嘘」「玲奈は弱い者いじめに遭っている」と報道を批判しました。
各メディアで、事実でないことを報道されていることについて、以下ように語っていました。
「本当に酷い。関西ローカルの番組でも、好き放題言われてます。玲奈が弱いものいじめに遭っているように見えて、でもどうにも助けてあげられへんのが可哀そうで」
引用元:lite-ra.com
個人事務所設立は絵本出版のためであり、のん(能年 玲奈)さんは元気に過ごしていると語っていました。
2016年:のん(能年 玲奈)契約満了と改名独立

2016年、のん(能年 玲奈)さんは大きな転機を迎えました。
華やかな成功の裏で積み重なっていた葛藤、そして、前所属事務所との確執。
その中で、のん(能年 玲奈)さんは独立という道を選び、新たな一歩を踏み出すことになります。
ここでは、改名に至るまでの経緯と、その背景にあった思いを振り返っていきます。
レプロ側の延長要求と拒否

のん(能年 玲奈)さんは、2016年6月末に前所属事務所との専属契約を終了し独立を果たしました。
契約終了を目前に控えた6月、のんさん側には前事務所から通知が届きます。
通知には「過去15か月間、面談要請に応じなかったため、契約期間を15か月延長する」と記載されていました。
のん(能年 玲奈)さん側はこれに対して、「法的根拠がないため、契約は6月末で終了する」と返答。
その後、レプロ側は「契約終了後も本名『能年玲奈』を芸名として使用する場合には、事務所の許可が必要」と申し入れました。
根拠として、業界団体・音事協の統一契約書フォーマットにある「契約期間中に使用した芸名の権利は契約終了後も事務所に帰属し、使用には事前承諾が必要」という条項が挙げられていました。
名前使用制限の有効性には疑問がありましたが、のん(能年 玲奈)さん側は争いを避けるため、自主的に改名を決断しました。
こうして、のん(能年 玲奈)さんは「のん」という新たな芸名で、心機一転フリーでの活動をスタートさせました。
この件は、単に契約で定められた2年の延長期間が満了したということで、我々は一方的な独立騒動ではないと考えている。レプロとの契約は今年6月末に終わっています。
芸名「のん」への改名と新たなスタート

こうした事情から、のんさんは契約満了と同時に、新たな芸名「のん」へ改名する決断を下します。
2016年7月、雑誌『FRIDAY』のインタビューで改名を発表し、「いろいろありまして・・・能年玲奈は本名なんですけど、芸名を改めて活動することになりました」と歯切れの悪いながらも事情を示唆する発言をしました。
新たな芸名「のん」は、本人が複数の候補の中から「響きが良くシンプル」という理由で選んだそうです。
「『のん』って英語の小文字で書くと「non」になる。ニコッて笑ってる顔文字みたいになるんです」「私の本名は変わった名前なのに、『のん』って簡単だな~と誇らしい気持ちになるときがあります」
引用元:toyokeizai.net/articles

のんさんが自らの表現を守るために新たな道を選んだ姿勢に大きな勇気と決意を感じます
のん(能年 玲奈)復活への歩みと現在

のんさんは、長く地上波から遠ざかっていたのんさんですが、
芸能活動を諦めることなく、独自の道を歩み続けてきました。
ここからは、のんさんがどのようにして表現活動を続け、
そして再び注目を集める存在へと復活していったのかを見ていきましょう。
自主制作映画やアート活動で表現を続けた日々
出典元:spice.eplus.jp
地上波ドラマから遠ざかっていた期間、のんさんは俳優活動だけに留まらず、
自主制作映画やアート活動といった幅広い表現に挑戦し続けていました。
地道ながらも一歩一歩、自分自身の表現の幅を広げていったのです。
こうした活動は、決して大きな話題になることばかりではありませんでしたが、
のんさんを信じるファンや業界関係者からは高く評価され、確かな支持を得ていきました。
11年ぶり地上波復帰で再注目!

2025年4月、ついにのんさんはTBS日曜劇場『キャスター』に主演として出演。
11年ぶりとなる民放連続ドラマ復帰に、ファンはもちろん、業界からも大きな注目が集まりました。
これまで積み重ねてきた地道な努力と、のんさん自身の表現力が、この大きなチャンスを引き寄せたのでしょう。
この復帰は、のんさん自身の努力に加え、近年の芸能界におけるタレントの活動自由化の流れが後押しした結果でもあります。
旧ジャニーズ問題を契機とした業界改革や、公正取引委員会の方針転換により、独立タレントが活動しやすい環境が整ったことも大きな要因の一つと考えられます。
のん復帰を支えた福田淳の存在とは?
のんさんは、スピーディー社とエージェント契約を結び、独立後の活動を支援されてきました。
代表の福田淳さんは、自由な表現を尊重する方針で、のんさんの映画制作やアート活動、そして地上波復帰への挑戦を後押ししました。
のんさんは、本物のエンターテイナーであり、まさに才能の塊と言える存在です。
これからさらに広がっていく彼女の活躍が、楽しみでなりません。
まとめ
のん(能年 玲奈)さんが「干された」とされる理由は、事務所との契約トラブル、独立騒動、改名問題など、さまざまな要素が重なったものでした。
時系列で整理すると、のん(能年 玲奈)さんがいかに困難を乗り越えてきたかが改めて分かります。
これからも女優・アーティストとして活躍を続けるのんさんを、応援していきたいですね!