YouTubeを中心に活躍する人気インフルエンサー、青木歌音さん。
明るい性格とユーモアあふれるトークで多くのファンを惹きつけていますが、
彼女の人生には性分化疾患という特別な背景があります。
この記事では、青木歌音さんの学歴や性分化疾患と向き合った幼少期について詳しくご紹介します。
彼女がどのように困難を乗り越え、現在の輝かしい活躍に至ったのかを深掘りしていきますので、
ぜひ最後までお読みください!
目次
青木歌音のプロフィール
- 名前
- 芸名:青木歌音(あおきかのん)
- 本名:高村文香(たかむらあやか)
- 旧姓:東 文香(ひがし あやか)
- 生年月日・出身
- 1992年8月13日生まれ
- 東京都目黒区出身
- 身体の特徴
- 身長:170cm
- 血液型:O型
- 学歴
- 小学校~高校
- 目黒区立烏森小学校
- 目黒区立東山中学校
- 高知高校(1年で中退)
- 共栄学園高等学校(転入・卒業)
- 大学
- 共栄学園大学国際経営学部(中退)
青木歌音の生い立ち
東京都目黒区で生まれた青木歌音さんは、日本人の父とスペイン系フィリピン人の母を持つ家庭で育ちました。
青木さんには、愛称「いもきち」として知られる妹さんがいます。
青木さんは生まれつき染色体異常(XXY型)があり、性分化疾患(DSDs)とともに生きています。
中学生の頃から、その染色体異常により自然な女性化が進んだ青木さん。
高校3年生で女性ホルモンの投与を開始し、医学的なサポートを受けながら自身の性と真摯に向き合ってきました。
性転換手術
- 22歳の時(2014年頃)にタイで性転換手術を受けました。
- 手術費用はおよそ100万円をかけています。
手術前後の経過
- 最初に睾丸摘出手術を受け、その後夜の世界の仕事を引退。
- バイトを重ねて手術費用を貯金。
- 手術後、戸籍上の性別変更も完了し、2022年に正式に女性となりました。
自身の経験を率直に語る青木さんのYouTubeチャンネルは、50万人を超える登録者を持っています。
2023年、青木さんは石井光三オフィスに所属し、タレントとしても活動を開始。
自身の経験を社会に還元しながら、多様な性のあり方について発信し、精力的に活動を続けていました。
しかし、2025年1月14日、Xで過去に受けたテレビ業界での性加害について告発。
現在、所属事務所とは契約解除の方向で話が進んでいるそうです。
青木歌音さんがテレビ業界の性加害を告発した背景には、彼女の生い立ちやこれまでの経験があると感じます。
幼少期から、性別への違和感や家庭での葛藤を抱えながらも、それを乗り越えてきた彼女だからこそ、
「誰かが声を上げなければ変わらない」という強い覚悟で行動したのではないでしょうか。
青木歌音の小学校
青木歌音さんは、目黒区立烏森小学校に通っていました。
父親は甲子園準優勝経験のある元野球選手で、彼女に厳格なスパルタ教育を課していました。
父親からお前は「プロ野球選手になるんだ!」と言われていたそうです
小学1年生から80km/hのボールを投げられる特訓を受けた青木さんは、必死に練習を重ね、わずか小学生ながら
112km/hの速球を投げられるまでに成長しました。
この時期の努力は、彼女の根性や精神力を育んだといえるでしょう。
幼いながらに「期待に応えたい」という想いを抱えながらも、どれだけ頑張れば父親が認めてくれるのか
分からず、悩む日々もあったのではないでしょうか。
青木歌音の中学校
中学校時代、青木歌音さんは目黒区立東山中学校に進学し、野球部に所属します。
強肩で知られ、「爆肩(バッケン)」というあだ名がつくほど、チームの中心的存在として活躍しました。
中学3年生の秋には、硬式球で132km/hを記録するなど、その実力は目を見張るものがありました。
しかしこの頃から、青木さんは性別への違和感を本格的に感じ始めます。
女子と交際しても3日程度で関係が終わってしまい、「自分は女子と付き合うことができない」と実感したそうです。
この思いは次第に自身の悩みへと繋がり、心の中で葛藤する日々が始まりました。
中学校時代の青木さんは、スポーツでの実績や仲間との充実した日々がある一方で、自分自身の内面と向き合う辛い時期でもありました。
「誰にも相談できない苦しさ」を抱えていたのではないかと思われます。
青木歌音の高校
高校では、父親の母校である四国の強豪校、高知高校に進学しました。
この学校は高知県有数の私立教育機関で、1899年(明治32年)に創立された歴史ある中高一貫校です。
青木さんは、野球部のピッチャーとして活躍しストレートは142km/hを記録するほどの実力を持っていました。
スカウトからも注目されていました。
しかし、厳しい練習や寮生活において、青木さんは次第に苦しさを感じるようになります。
寮生活では、禁止されていた携帯電話を使用したり、抜け出して友人と会うなどの行為が問題視され、
連帯責任で先輩たちに責められることもありました。
その中で、先天性の染色体異常による体調不良やヘルニアを患い、高校を中退する決断に至ります。
その後、東京の共栄学園高校に転入した青木さんは、野球部に一度は入部するものの実質1日で退部。
この頃には、女性ホルモン剤の服用を始め、性別違和を家族に打ち明ける決断をします。
青木歌音の大学
高校卒業後、青木さんは共栄学園大学国際経営学部に進学します。
この頃には、性別への違和感が一層強まり、悩みながらも学生生活を送っていました。
大学在学中に出場した女装コンテストでは、女性スタッフに間違えられるほどの美しさで話題になったこともあったそうです。
しかし、 19歳の時、男性として生きて行くのが怖くなり大学を辞めてしまいます。
家族との関係が悪化する中、家出をしてしまいます。
中華料理のアルバイトやキャバクラで生計を立てながら、自分らしい人生を歩むための道を模索していきます。
音楽専門学校
中学・高校・大学時代に自身の身体と向き合い続けた青木歌音さんは、21歳で音楽の専門学校の門を叩きます。
学校の詳細については明らかにされていません。
歌手になるという新たな夢思ったことで、入学を決意します。
この学校で、青木さんは女性のクラスに身を置くことになりました。
この出来事が、彼女が女性として生きていくことを決意する、大きなきっかけになったと語っています。
音楽に情熱を燃やす中で、彼女は自身の性についても深く考え、新たな人生の道を選択したようです。
21歳の時に音楽の専門学校に入学。そこで女性のクラスに振り分けられたことで「性自認」に変化が…
青木歌音の性分化疾患と向き合った幼少期の真実
幼少期は、ごく普通の男の子として活発に過ごし、父親の影響で野球に夢中になる日々を送っていました。
しかし、青木さんの幼少時代は、他のトランスジェンダーの方々とは少し異なっていました。
性別に対する違和感を抱くことは一切なく、むしろ誰よりも活発で、運動能力も高い少年だったといいます。
青木さん自身、まさか後に自身の身体と深く向き合うことになるとは想像もつかないほどでした。
人生の転機は、中学2年生、思春期を迎えた頃に突然訪れます。
男性であれば当然起こるはずの変化が、青木さんの身には起こりませんでした。
声変わりが訪れない高い声: 周囲の友人たちが声変わりしていく中、青木さんの声は高いままで、それがきっかけでからかわれることもありました。
予期せぬ胸の膨らみ: さらに、男性としては予期せぬことに、胸が膨らみ始めたのです。
胸のふくらみを隠すため、ガムテープで胸をぐるぐる巻きにして学校に通っていたそうです。
心無い同級生からは、「巨乳団子」という屈辱的なあだ名を付けられていました。
止まった骨格の成長: 身体的な変化はそれだけに留まりませんでした。
骨格の成長が止まり、特に手首は女性の平均よりも細いままだったのです。
高校生になると、青木さんはスマートフォンを使って自身の症状について調べるようになりました。
「女になりたくないのに心がおかしくなる」「普通の男のつもりなのに胸が膨らむ」といった切実な検索履歴が、ある日父親の目に留まります。
父親は息子の異変に戸惑い、それは家庭内で大きな問題へと発展しました。
父親からなんだろ検索履歴はと怒鳴られたそうです
青木さん自身も、一体自分の身に何が起こっているのか、誰にも相談できず、深く悩み苦しんだことでしょう。
当時のことを、自分が望まない体の変化に戸惑っていたと語っています。
後になって明らかになったのは、青木さんが生まれつき持っていたクラインフェルター症候群という性分化疾患でした。
通常、人間の染色体は46本ですが、青木さんの場合は47本(XXY型)だったのです。
この染色体の違いが、中学時代から始まった身体の変化の根本的な原因でした。
クラインフェルター症候群は決して珍しいものではなく、約4,500人に1人の割合で生まれる先天的な状態であることがわかっています。
幼少期には想像もしていなかった身体の変化に翻弄され、周囲の無理解にも苦しんだ中学・高校時代。
青木歌音さんの葛藤は、自身の身体と向き合い、受け入れていくための長く、そして困難な道のりでした。
青木歌音の体の変化
青木歌音さんの事例では、男性として生きることは医学的に困難な状況でした。
身体的変化の特徴
女性化の進行
- 中学2年生頃から声変わりが起きない
- 胸が自然に膨らみ始める(中学生でBカップ程度)
- トレーニングをしても筋肉がつかない
- 骨格が女性的な特徴を持つように変化
医学的背景
染色体の状態
- XXYという染色体異常を持って生まれる
- 通常の男性(XY)や女性(XX)とは異なる染色体構成
ホルモンバランス
- 男性ホルモンの生成が不十分
- 自然に女性化が進行する体質
- 男性として生きるためには、生涯にわたる男性ホルモン注射と胸部切除手術が必要
医師からの選択肢
22歳での選択
- 男性として生きる場合:男性ホルモンの継続的投与と胸部切除手術が必要
- 女性として生きる場合:不足分のホルモンをピルで補充
- すでに身体が女性化していたため、女性として生きる選択をした
このように、青木歌音の場合は先天性の性分化疾患により、男性としての身体的特徴を維持することが医学的に困難な状況でした。
まとめ
今回は、青木歌音さんの生い立ちや学歴についてお伝えしました。
幼少期から野球に打ち込みながらも、性別への違和感やさまざまな困難を抱え、それを乗り越えてきた彼女。
そうした経験が、今の青木歌音さんの強さや発信力に繋がっていることがわかりました。
これからも、青木歌音さんが多くの人に勇気や希望を与える存在として活躍されることを心から願っています。
最後までお読みいただきありがとうございました!