元フジテレビの人気アナウンサーとして注目を集めた永尾亜子さん。
知的で落ち着いた雰囲気と親しみやすさで多くの視聴者に愛されていましたよね。
そんな永尾亜子さんが突然フジテレビを退職した理由や、現在どのような活動をしているのか気になっている方も多いのではないでしょうか?
この記事では、
- 永尾亜子さんの大学・高校などの学歴
- フジテレビでの経歴
- 退職理由と現在の活動
について詳しく解説していきます。ぜひ最後までご覧ください!
目次
永尾亜子の出身高校は長崎県立上五島高等学校学
永尾亜子さんは、長崎県南松浦郡新上五島町(五島列島)に生まれ育ちました。
小学校、中学校と放送委員として活動し、人前で話すことや司会を務めることに楽しみを見出しました。
そんな、幼少期を過ごした永尾亜子さんは、高校進学後、その才能を見事に開花させ、数々の輝かしい実績を残しました。
彼女がどのような高校生活を送り、どのように成長していったのか詳しく見ていきましょう。
永尾亜子さんは、長崎県立上五島高等学校の普通科に在籍していました。
高校時代は医師を目指して理系コースを選択し、学業に励んでいたそうです。
理系を目指したきっかけはフジテレビドラマの「振り返れば君がいる」「救命病棟24時」をよく見ていたため医者になりたいと思ったそうです。
理系を目指したきっかけはフジテレビのドラマだった。「小学生の時に、再放送していた『振り返れば奴がいる』(1993年)を、毎日楽しみにしながら下校していたことが、印象に残っています。
引用元:https://mantan-web.jp/article/20220116dog00m200001000c.html
放送部に所属し、輝かしい成績も収めています。
- 2年時:第32回九州高校放送コンテスト・アナウンス部門で優良賞を受賞
- 3年時:第58回NHK杯全国高校放送コンテスト・アナウンス部門で全国第4位(優秀賞)を獲得
永尾さんは、後のフジテレビの入社面接では、これらの放送部での実績をあえて伝えなかったそうです。
代わりに、上五島出身という珍しい経歴をアピールポイントとして強調しました。
高校2年生の時には、フジテレビのドラマの方言指導を担当するという貴重な経験もしており、
これが後にテレビ局で働くことを目指すきっかけの一つとなりました。
高校2年時にフジテレビのドラマの方言指導を担当した経験から、テレビ局で働くことを目指す。
あえて放送部の実績を伏せた戦略は、とても賢明だったと思います。
自分のバックグラウンドを効果的にアピールできたからこそ、アナウンサーという夢を実現できたのでしょう。
普通なら実績を強調しがちですが、その柔軟な発想力には驚かされます。
永尾亜子の出身大学は長崎大学環境科学部
大学に進学した永尾亜子さんは、高校時代まで打ち込んできた放送部の活動に区切りをつけ、
大学では放送関係の活動には参加しませんでした。
しかし、ある本との出会いをきっかけに、再びアナウンサーの夢に挑む決意を固めました。
それでは、永尾さんがどのような大学生活を送っていたのか見て行きましょう。
永尾亜子さんは、長崎大学環境科学部に進学しました。
この学部は1997年に設立され、国立大学で初めての文理融合型学部として知られています。
永尾亜子さんは、長崎大学環境科学部でエネルギー分野を専攻し、風力や原子力などの研究に取り組んでいました。
専攻と研究内容:環境科学部に在籍していました 。
当初は医師に近い生命科学の研究を志望していましたが、結果的にエネルギー分野(風力や原子力など)に進路を決めたそうです。
課外活動:アカペラサークル「はもねぴあ」に所属し、地域イベントで歌唱活動を行っていました。
さらに、長崎大学のミスコンテストにも挑戦しています。
アカペラサークルでは、チームワークや協調性を育むと同時に、人前でパフォーマンスをする度胸を身につけました。
ミスユニバーシティコンテストでは、自分自身の魅力を最大限に引き出し、表現する能力を高めました。
永尾さんの大学生活の活動は多様なものでした。
そして、永尾亜子さんは就職活動中にアナウンサーの道を再び目指すことを決意しました。
テレビを見る際に無意識にアナウンサーを目で追っている自分に気づいたことがきっかけです。
さらに、元TBSアナウンサー・吉川美代子さんの著書に感銘を受け、「アナウンサーは正しい日本語の最後の砦」
という言葉に強く影響を受けました。
この出会いが、永尾さんの夢への挑戦を後押ししました。
(本の中で)アナウンサーは『正しい日本語の最後の砦(とりで)だ』と語っていらっしゃったのがすごく印象的で、それを読んで、私もこういうアナウンサーになりたいと思いました」と当時を振り返る。
引用元:https://mantan-web.jp/article/20220116dog00m200001000c.html
アナウンサー志望の道のり:長崎にはアナウンススクールがなかったため、テレビ朝日アスクの3日間の短期集中講座のみを受講し、就職活動に励みました。
「五島列島初のアナウンサー」という独自性をアピールし、困難を乗り越えて夢を追いかけた姿が印象的です。
テレビ朝日アスクは、テレビ朝日が100%出資して運営するアナウンス養成スクールです。一般的な専門学校とは異なり、現役のテレビ朝日アナウンサーが講師を務める実践的な短期講座を提供する教育機関です。
長崎から東京での試験に挑むため、時間や費用の負担に苦労しながらも、大学の学業やサークル活動と両立させていた永尾亜子さん。
その努力の甲斐あって、フジテレビのアナウンサーとしての道を切り開きました。
長崎という地方からフジテレビのアナウンサーという難関に挑戦し、努力を重ねて夢を叶えた永尾さんの行動力には本当に感心します。
自分の強みを理解して戦略的に動いた姿勢は、就職活動を控える人にとっても大いに参考になるのではないでしょうか。
永尾亜子のアナウンサーとしての経歴とは?フジテレビ時代を振り返る
永尾亜子さんは2016年4月にフジテレビに入社し、約6年半にわたりアナウンサーとして活躍しました。
- めざましテレビ(エンタメキャスター)
- みんなのニュース(サブキャスター)
- Live News days(キャスター)
- ワイドナショー(ナレーション)
めざましテレビでは、インタビュアーとしての活躍が特に注目されました。
Perfumeや後藤久美子さん、夏木マリさんなど著名人へのインタビューを手がけました。
特に後藤久美子さんと夏木マリさんへのロングインタビューは、急遽のピンチヒッターながら「永尾だからこそできるインタビュー」と評価されました。
かなり緊張してしまい、思うようにできなかったという思いもありましたが、スタッフからは『永尾だからこそできるインタビューだった』と言ってもらえたことも、うれしかったです」と充実感をにじませる。
引用元:https://mantan-web.jp/article/20220116dog00m200001000c.html
また、2018年には「お台場ワンガン娘’18」でメインボーカルを務めるなど、アナウンサー以外の才能も発揮しています。
「a-nation 2018」のパフォーマンスでは4人がメインボーカルを務める予定で、現時点で永尾亜子アナと新人の杉原千尋アナがメインボーカルに決定している。
引用元:https://mantan-web.jp/article/20180726dog00m200026000c.html
課題とキャリアの転換
- 一方で、早朝番組での遅刻や生放送への遅刻が目立ち、これが異動の一因になったとも言われています。
- 2022年7月:アナウンス室から広報局へ異動。
- 2022年10月:フジテレビを退社。
永尾亜子さんは視聴者から「歴代のフジアナで1番好き」「めざましの永尾さん、好きでした」と親しまれていました。
本人は「喋る仕事は向いていない」と漏らしたこともありましたが、誠実な人柄と自然体のアナウンスが多くの視聴者の心をつかんでいました。
報道からバラエティまで幅広く活躍していた永尾さんは、フジテレビの中でも非常に貴重な存在だったと思います。
視聴者に寄り添った柔らかな語り口や親しみやすいキャラクターが、より多くの人に愛されていた理由だと感じます。
永尾亜子がフジテレビを退職した理由とは?真相に迫る
約6年半にわたりフジテレビのアナウンサーとして活躍していた永尾亜子さん。
しかし、2022年10月に突然の退職を発表し、多くのファンに衝撃を与えました。
その背景にはどのような理由があったのでしょうか?
永尾亜子さんの退職には、早朝番組での度重なる遅刻や、アナウンス室から広報局への異動が大きな要因となっていました。
これらが積み重なり、最終的に退職という決断に至ったのです。
度重なる遅刻
- 「めざましテレビ」での生放送に遅刻することが複数回発生。
- 後輩の藤本万梨乃アナが代役を務めたこともありました。
- 朝が苦手だったことが、早朝番組との相性の悪さとして露呈しました。
異動の経緯
- 2022年7月1日にアナウンス室から広報局広報宣伝部へ異動。
- 異動後はほぼ出社せず、出社拒否の状態に。
- 2022年10月1日に正式退社。
組織的な判断
- 生放送中心のアナウンサー業務よりも、別の部署での活躍を期待され異動。
- 異動が永尾さんにとって大きな精神的負担となり、退職に繋がりました。
生放送番組での遅刻問題が信頼関係に影響を与えたことも、退職を決断するきっかけの一つでした。
永尾亜子の現在の活動は?フリーアナウンサーとしての新たな挑戦
フジテレビを退職後、永尾亜子さんはどのような道を歩んでいるのでしょうか?
アナウンサーとしての経験を活かしつつ、新たなフィールドで活躍する永尾さんの現在の活動に迫ります。
永尾亜子さんは、一般企業でのOL勤務とフリーアナウンサーとしての活動を両立させています。
最近では、旅行関連のリポーターやゲームイベントの司会・ナレーションなど、多岐にわたる分野で活躍しています。
一般企業での勤務
- 2022年10月の退社後、約半年の充電期間を経て、週2日はオフィスワーク、残りの日はフリーアナウンサーやナレーターとして活動中。
NEWTトラベルリポーター
- 2024年から旅行会社「NEWT」の公式YouTubeチャンネルでトラベルリポーターとして活躍。
- 関西国際空港やセブ島など、旅行に関する動画コンテンツを発信。
ゲーム関連イベントへの出演
- 2024年1月:「ペルソナ3リロード」のイベントで司会を担当。
- スプラトゥーン3 ガチキング決定戦ではナレーションを担当。
永尾亜子さんは、自身のSNSで「喋る仕事がある前の日は緊張してなかなか寝付けない」と正直な気持ちを明かしています。
しかし、ファンからは「歴代のフジアナで1番好き」「めざましの永尾さんが好きでした」など、今も変わらず多くの支持を得ています。
また、旅行関連のリポートでは好奇心旺盛な性格を活かし、さまざまな場所を訪れて魅力を伝える姿が印象的です。
インスタグラムやX(旧Twitter)でも積極的に情報発信を行い、さらなる活躍が期待されています。
まとめ
今回は、永尾亜子さんの学歴や経歴、フジテレビ退職理由、現在の活動について詳しくお伝えしました。
永尾亜子さんは、長崎大学環境科学部でエネルギー分野を学び、長崎県立上五島高等学校時代には放送部で全国4位という実績を残しました。
その経験を活かして2016年にフジテレビへ入社し、「めざましテレビ」や「みんなのニュース」など、幅広い番組で活躍しました。
しかし、早朝番組での度重なる遅刻やアナウンス室から広報局への異動がきっかけとなり、2022年10月にフジテレビを退社しました。
現在は、一般企業のOLとして働きながら、フリーアナウンサーやナレーターとしても活動。
特に、旅行会社NEWTのトラベルリポーターや、ゲームイベントの司会・ナレーションなど新たな分野にも挑戦しています。
アナウンサーとしての経験を活かしつつ、さらに幅広い活動を展開する永尾亜子さん。
これからの活躍がますます楽しみですね!
それでは、ありがとうございました!